退職時に顧客を引き抜く、または退職後に元顧客に対して営業をかけることの是非について

退職時に顧客を引き抜く、または退職後に元顧客に対して営業をかけることの是非について

このコラムを3分読めば理解できること

・退職時の顧客引き抜きについての法的判断が理解できる
・退職時誓約書がある場合の違法性について理解できる
・退職時誓約書がない場合の論点が理解できる

退職時に顧客を引き抜く、または退職後に元顧客に対して営業をかける。会社側も労働者側もこれらの問題について正しい理解を持って頂きたい。このコラムでは退職時に顧客を引き抜く、または退職後に元顧客に対して営業をかけることの是非について、社会保険労務士が詳しく解説する。

このコラムの目次

①職業選択の自由、営業の自由とは?
②退職時誓約書で職業選択の自由、営業の自由を制限できるか?
③退職時誓約書がない場合、職業選択の自由、営業の自由は制限されるか?
④このコラムのまとめ

①職業選択の自由、営業の自由とは?

このコラムで取り上げるのは、退職時に顧客を引き抜く、または退職後に元顧客に対して営業をかけることの是非について、である。そもそも我々日本国民には、憲法第22条で職業選択の自由が保障されている。

《日本国憲法 第22条第1項》
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

「営業の自由」については明文で記載されているものではないが、職業選択の自由を実現するための手段として、営業の自由が保証されるのだと解されている。

つまり、いくら職業を選ぶ自由があっても「その業務を遂行する自由」=「営業の自由」がなければ意味がない、という趣旨である。

憲法は国と国民の関係を規定するものであり、会社と個人の関係を直接に規定するものではないが、個人に保証される職業選択の自由、営業の自由を侵す行為は、民法90条(公序良俗)に反し無効であると判断される。

《民法 第90条》
公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。

②退職時誓約書で職業選択の自由、営業の自由を制限できるか?

私的自治の原則により、どのような契約を締結しても自由

次に、退職時に交わされる誓約書について検討しよう。あなたが何らかの理由で会社を辞めることを考えていて、会社から次の文言が記載された誓約書への署名捺印を求められたとする。

ア)貴社の顧客に対して営業活動、勧誘活動を行わないことを誓約します。

民法の一般原則「私的自治の原則」を基本に考えると、どのような内容の誓約書(または合意書。名称を問わない)を交わそうとも当事者間の自由であり、契約当事者が納得の上、記名捺印しているのなら、その誓約書は合法的に成立する。

退職金を盾に取られ、労働者側が不利になる場合も

しかし退職時には、「この誓約書に署名捺印しないと退職金が支給されない」との条件のもと労働者側に不利な状況で退職時誓約書に署名捺印を強いられる場合もあろう。

このような状況では、労働者側が自由な環境で検討し、署名捺印したとは言えず、作成された誓約書の有効性については甚だ疑問が残る。

不当に広範囲の禁止事項を定める誓約書の是非について

同時に、不当に広範囲の禁止事項を定める誓約書の是非について検討しよう。前述のア)をベースとして、条件を重ねていくことにする。

ア)貴社の顧客に対して営業活動、勧誘活動を行わないことを誓約します。

→ 顧客種別、地域、期間の定めなく無制限に営業活動を禁ずるもので、最も不当性が高いと言える。

イ)退職後〇年間、貴社の顧客に対して営業活動、勧誘活動を行わないことを誓約します。

→ 禁止年限を区切る条件が付与されている。1年間、6カ月間など短く設定することで妥当性が高まる

ウ)私が担当(または営業獲得)した顧客に対して営業活動、勧誘活動を行わないことを誓約します。

→ 自身が担当(または営業獲得)した顧客に限定する条件が付与されている。退職者に最も近い顧客のみに限定することで、対象を絞り込み、妥当性を高める効果がある。

なお、自身が担当(または営業獲得)していない顧客に対して営業活動、勧誘活動を行うためには、顧客リストの持ち出しという行為が伴う場合が多い。これは機密情報の無断持出し、漏洩という別問題が発生する可能性が高い。

エ)私が直近〇年間に担当(または営業獲得)した顧客に対して営業活動、勧誘活動を行わないことを誓約します。

→ 前述ウ)の条件をさらに絞り込むことで、妥当性を高める効果がある。

オ)〇〇地区の貴社の顧客に対して営業活動、勧誘活動を行わないことを誓約します。

→ 対象となる顧客の地区を限定している。妥当性を高める効果がある。

以上の通り、退職時に交わされる誓約書において顧客を引き抜く、または元顧客に対して営業をかけることを制限する場合、裁判所は次の項目を総合評価して妥当性を判断する傾向にある。

《顧客引き抜き、元顧客に対して営業をかけることを禁止する誓約書の是非》
〇制限する期間
〇制限する地理的範囲(全国どこでも禁止なのか、近隣都道府県のみなのか等)
〇対象となる顧客の範囲
〇代償措置(制限を付けるに値する退職金、特別手当などの待遇がなされているか等)

ここまでの解説を踏まえ、次のような内容であれば、退職時誓約書の有効性が極めて高いと判断されるだろう。

《有効性が高いと判断される退職時誓約書》
私が退職直前2か月間に担当した顧客のうち〇〇地区の顧客に対しては、退職日から6か月間、営業活動、勧誘活動を行わないことを誓約します。(顧客、地域、期間などを限定している)

直近の裁判例の紹介

〇大阪地裁 平成29年(ワ)2314号
退職後3年間に渡り、従前担当していた顧客か否か、いつごろ契約したか、自らの働きかけか顧客から懇請されたかに関わらず、顧客会社への再就職、顧客との契約締結を禁じた誓約書を無効と判断した事例(退職金などの代償措置もされていなかった)

③退職時誓約書がない場合、職業選択の自由、営業の自由は制限されるか?

ここまでは退職時誓約書の内容についての違法性を確認してきた。それでは退職時誓約書が作成されない場合は、どのような場合でも労働者は職業選択の自由、営業の自由を侵害されないのだろうか。

判例では「社会的に許容される範囲を超える背信的な行い」があった場合、公序良俗違反として違法であると捉えるが、背信性が認められない場合は原則通り職業選択の自由、営業の自由を優先する傾向にある。

〇東京地裁 平成28年(ワ)27601号
前職と同業種で独立し、元顧客に対して取引の勧誘を行ったAについて、Aは長年在職中会社の資金難の際に資金を立て替えるなど貢献し、また自身に落ち度のない問題によって懲戒解雇処分とされその内容が社内に張り出されるなどが独立および顧客勧誘の契機であることを鑑み、元顧客への勧誘行為に違法性がないと判断した事例。

〇東京地裁 平成28年(ワ)14718号
元勤務先と同業かつ3軒隣のビルで開業し、顔写真付きで宣伝したBに対し、①顧客がBの個人技術を信用し自由判断でBとの取引を決し、②B退職後しばらく元勤務先の店舗が閉店するため顧客に迷惑をかけぬよう考えた経緯があり、③そもそも元店舗の顧客はBひとりの努力で獲得したことを鑑み、元顧客への勧誘行為に違法性がないと判断した事例。

これらの判例に基づき、退職時誓約書がない場合の顧客引き抜き、元顧客に対して営業をかけることについて、どのような場合に職業選択の自由、営業の自由が制限を受けるかを検証すると次の通りとなる。

《誓約書がない場合の職業選択の自由、営業の自由の制限》
〇対象となる顧客の範囲(自分が担当した顧客か、自分が営業獲得した顧客か等)
〇働きかけの程度(前職会社との契約解除を積極的に働きかけたか、単なる開業挨拶か等)
〇顧客の自由意思(前述の働きかけの程度により、どの程度顧客が自由意思で判断したか等)
〇顧客からの信用(どの程度の期間当人が担当し、どの程度の信用を得ていたか等)
〇新規契約獲得の特異性(新規顧客獲得の営業活動にどの程度の特異性があるか等)
〇前職における他者の関与(経営者、上司がどの程度当該顧客に関与していたか、面会頻度等)
〇代償措置(制限を付けるに値する退職金、特別手当などの待遇がなされているか等)

誓約書がない場合、裁判所はこれらの項目を総合的に比較検討し、社会通念を逸脱する営業活動がなされたか否かを判断する傾向にある。

④このコラムのまとめ

以上が退職時に顧客を引き抜く、または退職後に元顧客に対して営業をかけることの是非についての検証ポイントである。

あなたが会社を退職する際、このコラムで解説した項目に注意して行動しよう。またこの内容は今後あなたが会社経営者となる際にも十分役立つものである。

退職時の顧客引き抜き、または退職後に元顧客に対して営業をかけること等についての誓約書作成でお困りの際はぜひ当事務所までご相談を。

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【この記事の執筆・監修者】

井ノ上 剛(いのうえ ごう)
※ご契約がない段階での記事に関するご質問には応対できかねます。
 ご了承お願い致します。

◆1975年生 奈良県立畝傍高校卒 / 同志社大学法学部卒
◆社会保険労務士・行政書士
奈良県橿原市議会議員
◆介護福祉士実務者研修修了
タスクマン合同法務事務所 代表
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